父:88才(T14年生) 主介護者: 近隣に住む兄 遠距離介護の娘(私)
母: 父と2人暮らし。脳血管性認知症
80才までは、とても元気だった。母(軽い脳梗塞)を助け、自立していた。
<2006年> 81才 幻視が現われる
うつっぽかったが、カッとして初めて母に手を挙げ、母が怯えていた。
私はネットで調べ、レビー小体型認知症を疑い始めた。
<2007年> レビー小体型認知症と診断される
2ヶ月に1度の遠距離介護が始まる。
<2009年> 要介護1
介護保険の利用を考えたが、兄も私も何も分からず、1から勉強した。
「あまり気が進まない」という父を説得し、週1回デイサービスの利用開始。
<2010年> 要介護2
兄の負担軽減のため数週間に1度帰省するようになる。
自分と家族の生活を調整しなければならず、家族の協力が本当に有り難かった。
父自身が、ケアマネに「この病気は進行するので、周囲に迷惑を掛けないようにしたい」と話し、これが認知症患者の言葉かと驚く。
<2011年> 急に悪化していく
急激に悪化。大震災後の余震に「敵が攻めて来る!」等と騒ぎ出す。
徘徊も始まり、介護負担が大きくなる。ショートステイ利用を開始。
認知症の母は、私が父を介助すると「1人でできる!」と怒り、大変だった。
私は「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」に参加し始めた。
知識を得たので、新しい症状が出てもすぐに理解し、受け止めることができた。
帰省のために止むなく仕事の量を減らし、収入も減る。
同居ではないので医師と薬の調整もできず、私が側にさえいたらと苛立った。
両親に対する罪悪感、遠距離介護ゆえの様々な葛藤が消えたことはない。
<2012年> 要介護3
そんな私に父は「悪いな。申し訳ないな」といつも気使ってくれた。
私の状況が変わり、帰省は、月1回に。
『施設に入れることなんてとてもできない』と思いながらも施設の見学に行く。
<2013年> 要介護4
兄が毎日2回訪ねて介護を続けて来たが、発熱で入院し、そのまま病院生活に。
立ち上がって倒れ、怪我をしたため、日中は、車いすに拘束されている。
私は、数週間毎に帰省しているが、両親の寂しげな姿を見ながら、ずっと側にいてあげられないことが、本当に申し訳なく、切なくなる。
定年退職後は、介護職に就いて、苦しむ介護者を救えたらと考えている。