ameさんのお母様の場合

 

母:77才(S10年生)    主介護者: 同居の父(82)と近所に住む娘(私)

 

 

<2007年> 71才 パーキンソン症状始まる


長年続けた仕事を退職後、歩きにくさを自覚。

ふらつきだるさ等も感じ、数カ所の内科病院を1人で受診。

総合病院でパーキンソン病と診断される

 

 

この頃から大きな寝言があった。その後、数年間で徐々に体の動きが悪化

 

 <2010年> 要支援2→要介護2へ 


骨粗鬆症から腰椎圧迫骨折。激痛が続き、家事もできなくなる。

段差の少ない住居に引っ越しをさせた。

リハビリもデイサービスも頑に拒否。(後に訪問リハビリのみ受け入れる。)

悪化してしまうと心を痛めたが、それが本人の選択なら受け入れる以外

ないと考え直した。

 

 <2011年> 正しい診断を機に病気を学んで好転


薬の量が増え、幻視(天井や壁に虫、カビ)と幻聴(人の声)が目立ち始める。

物忘れはないが、私のみ母との会話に違和感(ズレ)を感じ始める。

過眠無気力怒りっぽさ異常な頑固さが目立つ。次第に日時がわからなくなり、幻視を見て「人殺し!助けて!」等と騒ぐようになった。

暴言暴力昼夜逆転深夜に家の中を荒らして歩き回る

 

突然、穴に落ちたかのように感じた。動揺し泣くばかりの父に

「大丈夫!私が何とかするから!」と言い続けてきたが、

本当は一緒に泣きたかった。

 

「レビーかも」。看護師に言われ、ネットで調べると思い当たることばかり。

主治医に訴えたが否定され、別の病院でレビー小体型認知症と診断される。

本人は、認知症の告知にショックを受け、うつ状態に。数回の自殺を試みる。

 

「どうすればいいの?!誰か教えて!助けて!」と叫びたい気持ちだった。

しかし家族は、診断を機に病気を学び、おしゃべり会にも相談して対応方法を知り、徐々に混乱から抜け出せた。

冷静に適切なケアができるようになると母も嘘のように落ち着き始めた。

パーキンソン薬を減らし幻視・被害妄想も激減した。

母のことは、医師やケアマネ等への連絡も含めすべて紙に記録して残した。

 

 <2012年> レビーを知らない医療・福祉・介護職員たち


アリセプト開始後、体が硬直。レビーの症状(薬剤過敏性)だとすぐに気付き、主治医に電話して半量にするという適切な行動がとれた。

母は落ち着いていたが、徐々に転倒が増え、理解力も低下。字が書けない家電が使えない長時間の昼寝うつが目立っていた。

年末に一転。歩行困難、食事も薬も含めた介護拒否物盗られ妄想無茶な要求突然怒り出し、馬鹿野郎などと叫び続けるか、寝ているかという状態に。

現実ではないこと(妄想)ばかり一方的に話す。

 

レビーを熟知した医療・福祉・介護職員は周囲にいないため、

私がすべて1人で観察、分析、判断した。母の興味や能力を考え、

作業療法、音楽療法、できることは何でもやった。

 

しかし悪化の理由も全くわからず、時々この重責に押しつぶされそうになる。

自分の判断が本当に正しいのか、常に悩まされる。

レビーを取り巻く孤立無援の厳しい状況。その理不尽さに憤る。

 

   <2013年> 要介護5になる


状況好転せず。不安被害妄想(娘が夫を騙す等)が強く、暴れることが増える。

無表情で目もうつろだが、調子が良い時は、笑顔労りの言葉も出る。

要介護5になり初めてヘルパーを頼むが、介護拒否のため家事援助のみ。

父の体調悪化が目立ってきたため、身を切る思いで母を一旦入院させた。

退院後は、在宅で介護したいと考えている。

今は、この悲しみ、苦しみを味わう人が減って欲しいと願うのみだ。

 

 

ご夫婦でお散歩
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