うめのははさんのお父様の場合

父:81才(S6年生)   主介護者: 二世帯住宅に住む娘(私)

                                   母: 脳血管性認知症

 

  <2005年頃〜> 73才頃〜 

 

片手の震えからパーキンソン病と診断される。

普通に歩き、夫婦2人だけで支障なく穏やかに生活していた。

3年程すると立ち上がり時に転ぶようになる。

 

  <2010年> 78才 幻視出現 要介護1

 

幻視(兵隊、火事等)幻聴(一時期のみ)が現われ、騒ぐようになる。

幻覚だとは思わず、「そんな訳がない!」と否定しては険悪な仲になったこともあった。

物忘れもなく、しっかりしていたので認知症とは思いもしなかった。

 

泥棒がいると夜中に何度も起こされる。棒を振り回し、警察を呼ぼうとする。

止めて暴言を返されると悲しくて、泣いて怒鳴り合ったこともあった。

どんどん追い詰められ、『もういなくなってしまえばいい』と思ったことも。

 

やりがいのあった仕事も退職。『なぜ私の人生が犠牲に』とやり切れなかった。

 

  <2011年> 薬で悪化

 

医師に毎回どれだけ窮状を訴えても、私たちの苦しみは、軽くあしらわれた。 

 

やっと処方された向精神薬(セロクエル)を飲むと3時間後に風呂場で硬直

1度だけの服用で、その後も体の傾きが残った。しかし処方は変わらず。

 

医師とのやり取りの方が、父の幻視よりも大変で苦痛だった。

 

友人に介護中の人などなく、気持ちを聞いて欲しいと思っていた時、

地元の認知症家族会の交流会を知り、私だけ毎月参加するようになった。

様々な情報も自分に合った介護のヒントも得られ、行って本当に良かった。

 

  <2012年> 80才 レビーと確信 要介護3

 

悩んだ末に医師を変えると「レビーかも知れない」と言って

向精神薬(リスパダール)を処方。再び硬直。

その後も歩行困難などが残った。

 

自分でネットや本を必死で調べ、レビー小体型認知症だと確信する。

 

幻視も妄想も症状だと理解すると冷静に上手く対応できるようになった。

 

『病気なんだ。症状は父の”仕事”なんだ』と見方を変えると楽になり、

私が両親を支えていこうと前向きに思えるようになった。

 

抑肝散も効かない父にサプリメントを試してみると体の動きが改善。

幻視からの興奮も弱まり落ち着いた。

しかしまた徐々に歩行が不安定に、表情も乏しくなっていく。

時々、予定の日時を間違えたりするようにもなった。

 

年末から再び幻視妄想が悪化。

「隣に同じ家がもう1軒あり、作業員が家の物をそこに勝手に運んでいく。

警察を呼ぶ」と言い張り、あらゆる手を尽くしたが、どうしても納得しない。

電話でレビーを治療できると言った2つの病院に相談に行くが、両方に失望。 

 

  <2013年> 介護を通して得られたこと

 

家族会の方から紹介された病院に行き、抑肝散陳皮半夏でやっと落ち着く。

リバスタッチを希望して処方され、体の動きが改善。

しかし半月毎に悪化、増量を繰り返している。

 

転倒して2回大出血の怪我。週1回訪問リハビリを始め、転倒が減る。

現在は、デイサービスを週3回、2泊のショートステイを月1〜2回。

 

曜日や場所(寝起きのみ)が分からなくなることが増えたが、自分で

お金の管理もし、会話には全く問題がない

月数回、私と車いす(外出時のみ)での買い物を楽しんでいる。

 

 辛い時期もあったが、介護を通して姉妹との絆が強まり、

自分の人生を深く考える機会にもなった。

介護者の交流の場や介護離職者の働く場を作りたいというもできた。

国にも積極的な取り組みを切望している。

 

*2013年7月1日のEテレ「ハートネットTV」に親子でご出演。

*2012年までの更に詳しい経過は、こちら (しばのブログ)。

 

デイサービスのお迎えを待つご両親とうめのははさん
デイサービスのお迎えを待つご両親とうめのははさん